「昔の方がずっと高齢出産が多かった」からの考察

妊活・出産ジャーナリストの河合蘭さんのご著書「卵子老化の真実」は、私のバイブルとして、発刊されてからずっと頼りにしています。

今回も例により調べたいことがあって読んでいたのですが、その中で改めて「昔の方がずっと高齢出産が多かった」という記述に目が留まりました。

それによると、大正14年には45歳以上の女性から生まれた子が2万人ちかくいて、これは現在の45歳以上の出産と比べると21倍になる、
また、50代の母親から生まれた子供も約3650人いたそうです。

大正14年は1925年。その時45歳としたら、生まれは1880年ですね。

そこで、更にネットでザッピングしてたら、このような資料を見つけました。

歴史的に見た日本の人口と家族
<国立社会保障人口問題研究所人口統計資料集2006年(平成18年度版)>

その中で「出生コーホート別妻の出生児数割合及び平均出生児数:1890年以前~1957年生まれ 」という統計がありました。

残念ながら1880年生まれジャストではありませんが、1890年以前に生まれた女性が産んだ子供の平均の数が出ていて、参考になると思います。

それによると、1890年以前に生まれた女性が産んだ子供の数は、一人当たり5.0人。それも調査時の女性の年齢が60歳以上となっていますから、高齢で産んだ可能性は大いにありますね。

一方、その表でもう一つ目についたのが、子供を産んだことのない女性の割合が10%前後であったということです。

資料の中でも「戦前に出産した世代では、4人以上出産する者が多かった一方、子どもを産まない者も現在以上に多く、多様性が見られる」と述べられています。

他にも、興味深かったのが

・江戸時代は子沢山なイメージだが、意外と出生率(人口1,000人にあたりにおける出生数)は低かった。
・江戸時代の東京(当時は江戸)の男性の独身率は、現在の東京の男性のそれと大差ない。
・明治初期・中期の離婚率は現代より高い。

どうやら
江戸時代は、地主や比較的規模の大きい自作農は旺盛な出産力があったが、経済力の弱い小農や小作人は十分な数の子を生むことができなかったし、都市の庶民には生涯未婚者が多かった。
しかし、第二次世界大戦後は、都市、農村、階層の違いによらず「皆婚、子ども2人前後」という状況が実現した。

つまり、近年の家族モデルの基準とされる「夫婦二人、子供二人」という形は、「当然視しがちであるが、歴史的にみればむしろ特殊な時代」らしいです。

その背景としては

・戦後の経済発展の中で、「子どもの生産財から消費財への転換」という先進国共通の現象が生じたこと
・乳児死亡率の低下により多産の必要が少なくなったこと

が挙げられています。

確かに乳児死亡率を見ると、1900年(明治33年)は出生数1000人に対し155人でしたが、1947年(昭和22年)には76.7人、2000年(平成12年)には2.8人まで下がっています。

昔は、産む数は多かったけど、生き残れる赤ちゃんが多くなかった、ということ。
現在の死亡率の低さは、生活環境の進化と医療の発達の恩恵と言えるでしょう。

ただ単純に、合計特殊出生率(一人の女性が出産可能とされる15歳から49歳までに産む子供の数の平均)と乳児死亡率を比べると

1930年(昭和5年)合計特殊出生率4.72 乳児死亡率124.1
1960年(昭和35年)合計特殊出生率2.00 乳児死亡率30.7
1980年(昭和55年)合計特殊出生率1.75 乳児死亡率7.5
2004年(平成16年)合計特殊出生率1.29 乳児死亡率2.8

と、出生率の減少よりも格段に乳児死亡率が低くなっています。
もちろん、ここに人口とかいろいろな要素が絡んで一概には言えないのでしょうけど、これを見る限り、最近子供の数について、特に女性に向かってやいのやいの言われるのが、なんだかなーと思ってしまうのは、私だけでしょうか。

今回は、ややこしい話の割にはオチがなくて、すみません。

店長松村恭子

私が書いています

松村恭子
1966年11月山口県生まれ。丙午のさそり座で、超気性は激しいはずですが、実際は…?

2009年よりながいきや本舗店長として、たくさんのお話をお伺いしています。

また、TCマスターカラーセラピスト、食育指導士としても活動しています。

家族は旦那。夫婦二人を謳歌中です。
マツムラにメールで問い合わせる マツムラと電話でお話する