「考える」の前には「思う」がある

私はよく「ほぼ日」を読んでいるのですが
今回こんな話に出会いました。

”「考える」の前には「思う」があって、
そのもうひとつ前には「感じる」があるはずなんです。
じぶんの感じたことが「思う」になって、
その先に「考える」が生まれる。”

ほぼ日「これからのぼくに、できること」

「考える」の方が、「思う」「感じる」より高尚な感じがしませんか?

「感情的になるな、理性的でいろ」みたいなこともよく言われるけど、それってやっぱり、感じることより考えることの方が大人なんだ、みたいに思うのは私だけでしょうか。

でもね、さっきの話は糸井重里さんの言葉なのだけど、結局考えるのは、思うから。
さらにその前に、感じるから。

つまり、「考える」モチベーションは、思うことであり、感じることであり
考えるためには、その前に思ったり感じることが必要なんだ、
思ったり感じたりするから、考えるんだ、
と、私は解釈したわけです。

そうすると、「考える」ことが「思う」「感じる」ことより高尚では決してなく、むしろ逆。
思ったり感じたりするからこそ、初めて考えることができる。

なので、思うこと、感じることは素晴らしいこと。
思うから、感じるから、考えるし、その先の進歩もある。
思ったり感じたりしなければ、考えることもない。
もし、思ったり感じたりしないで、いきなり考えることから始める、としたら、それは「勉強」?

でも、勉強にだって感情は伴う。楽しいとか好きとか嫌いとか。

結局、考えるだけ、というのは、マシン。
人間は感情があってこそ。

だから、思ったり感じたり、つまり、不安も心配も楽しさも嬉しさも、どんな感情も持っていい。
それが、考えること、そして次のステップにつながるのです。

ただし、感情を長く持ちすぎるのは、どうかと思う。
からだを悪くしてしまうし、その先の「考える」に行くまでに時間がかかる、つまり、次へのステップに進むまでに時間がかかって、少しもったいないかも。

もちろん、それはその人のペース。

感情を大切に。
感情が考えることにつながるし
次へのステップにつながる。

でも感情の保持はなるべく短めに。

そう心掛けたいと思います。


(画像は本文と関係ないけど、なんだか切なかったから)

店長松村恭子

私が書いています

松村恭子
1966年11月山口県生まれ。丙午のさそり座で、超気性は激しいはずですが、実際は…?

2009年よりながいきや本舗店長として、たくさんのお話をお伺いしています。

また、TCマスターカラーセラピスト、食育指導士としても活動しています。

家族は旦那。夫婦二人を謳歌中です。
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